私は、ずっと“旅をしない若者だった”
「旅って特別な人がすること。」
昔の私は、そう思っていました。
休日はいつも家族と一緒。どこへ行くにも「家族で行ける場所」が大前提。自分が「どこに行きたいか」なんて考えたことすらありませんでした。
一人で出かけることも、旅に出ることも、どこかに自分には無縁のもののように感じていたんです。
でもそんな私の価値観が変わったのは、中学生のとき。
吹奏楽部の活動で、オーストラリアからきた方々と異文化交流した時のことでした。
彼らは、音楽を“体で楽しむ”ことにとても素直で、一人ひとりが自分の感情をしっかりと表現していました。
その姿に、衝撃を受けました。
「なんでこんなに楽しそうに表現できるんだろう?」
「自分の“好き”をこんなに堂々と出せるのって、かっこいい…!」
気づけば、私は「もっといろんな国の人に出会ってみたい」「この世界の外を、自分の目で見てみたい」と思うようになっていました。
でも実際に“旅に出る”ようになるまでは、そこから何年もかかりました。
理由はシンプル。「怖かった」からです。
❓なぜ日本の若者は旅に出ないのか?
私が実際に外の世界に出て、ようやく見えてきた「旅に出られない理由」は大きく3つあります。
- 日本が快適すぎる
水が飲める、治安が良い、ご飯が美味しい、コンビニが24時。それが“当たり前“だった私にとって、海外の暮らしは正直、不便に感じることもありました。
でもその“不便さ”を経験してはじめて、日本での暮らしのありがたさに気づいたんです。
あまりにも整いすぎているからこそ、わざわざ不便な旅に出ようとは思えないのも、無理はありません。 - 正解ルートから外れるのが怖い
いい学校、良い会社、安定した人生。
「みんなと同じ」が安心で、「普通に生きる」が1番大事とされる日本では、“旅”の用意目的が不明確なものは、「意味があるの?」と問われがちです。
でもたびに出ることで気づきました。
「意味があるか」じゃなくて、「自分がどう感じたか」で人生は変わるんだって。 - 失敗=恥ずかしいの文化
英語が話せなかったら?
トラブルに巻き込まれたら?
一人で何もできなかったら?
…そんな不安ばかりが頭をよぎって、なかなか一歩が踏み出せない。
だけど、実際に海外で暮らしてみると、むしろ「失敗して当然」で、「完璧じゃないあなたのままでいい」っていう空気があって、すごく楽だった。
💡旅をしたら、自分が見えてきた
私は今まで、「周りの人がどう思うか」で生きてきたところがありました。
でも、アメリカでぼったくられそうになった時、誰も助けてくれなかった。
その時、自分の力で交渉して、なんとかその場を乗り越えた。
フィリピンでは、最初こそ緊張したけど、フレンドリーな人たちに囲まれて、「知らない人と話すのって楽しい!」って思えるように。
アメリカでは気分が悪くなった時に「今の自分をケアできるのは自分しかいない」と思って、
無理に我慢せず、好きな食べ物を食べに行ったり、スケジュールを調整したりするようになった。
旅は、自分のことを知るための時間でもあるんだって、やっと気づけました。
最初の一歩は、岡山県・倉敷市だった
最初に一人で旅をしたのは、実は海外ではなく日本の岡山県・倉敷市でした。
この旅で、私は「自分の“好き“」を探しに行きました。
誰の意見もなく、自分だけで決める旅はまるでセルフセラピーのようでした。
「あ、私は自然があって、静かで、落ち着ける場所が好きなんだ」って、初めてちゃんと気づけたんです。
それからはひとり映画、ひとり図書館、一人旅が当たり前に。
誰かと一緒じゃないとダメだった私が、「私の時間」を大切にできるようになっていったのです。
旅でないのはダメじゃない。でも出てみてもいいかも。
私はずっと、「旅なんて自分にはできない」と思っていた。
でも、そんな私が今では、フィリピン、アメリカ、カナダ、タイと様々な国を旅して、もうすぐカンボジアとベトナムにも行く予定です。
あなたも、今「旅に出たいけど怖い」と持っているなら、それはきっと、一歩踏み出すチャンス。
完璧じゃなくていい。英語が話せなくてもいい。地図が読めなくても大丈夫。
旅をすること=自分の心を動かすこと。
あなたの心が少しでも「行ってみたい」と動いたなら、そこにはきっと今の自分に必要な“何か”があります。
📍おわりに
“旅をする若者”じゃなかった私が、旅に出て変わったように、きっと誰にでも、「変われる一歩」はある。
それは海外じゃなくても、日本の小さな町でも、隣の駅でもいい。
その一歩が、世界を広げてくれるから。